2021年3月2日火曜日
自分の心と折り合いを付ける…その学習
とあるクラスで,廃材を使って作品を作る学習を行っていました。担任によると,ある時点まで男児は,試行錯誤しながら廃材を組み立てて
いたとのこと。ところが…。しばらく経って男児は,「壊れてしまった」と担任にいいつつ,跡形も無く,それこそ作品の痕跡が無くなるほど
バラバラになった廃材を,担任のところに持ってきたとのこと。担任は,教育の絶好の機会と捉え,「どんな作品を作ろうとしたのか」,「作品
は完成しなかったが,考え続けたことは立派だった」など,男児にとっての図工の時間を,作品こそ完成できなかったものの,意味あるもに
しようと問いかけました。担任は校務センターで「今日の図工は,大変疲れた」と,思わず本音を吐露しました。実は,それを聞いていた私も,
作品を作ることが図工の本来のねらいだったかもしれないけれど,考えがまとまらずムシャクシャしている自分に気付き,その結果作品を壊した
自分も認識し,そして「また,やってしまった」と悔いる自分を感じるのも,これまた学習。出来る喜びを感じるだけが教育では無い。苦しい
けれど,自分の心と折り合いを付けながら生きていく術を学ぶのも,大切な学習だと考えています。もう1題。ビオトープ脇の交差点での
出来事。忘れ物に気付き家に取りに戻った男児(始業前)が,血相を変えて走って戻ってきました。そこに,1台の軽乗用車が。私は,交差点から
離れたところに居ました。車は男児に気付き,停止線に停車。男児はそれを確認した後,次の瞬間,ドライバーに「お先にどうぞ,どうぞ」を促す
ジェスチャー。ドライバーは恐縮しながら,先に左折していきました。飛び出すわけでも無く,身を守るために車を先に行かせる考え。スーパーな
5年男児でした。下の写真は,4年2組の版画作品。どれもこれも力作。