2021年10月29日金曜日

人を育てるということ

2人の教育実習生が4週にわたる実習のまとめとして,昨日,研究授業を実施しました。教師としては,自動車教習に例える ならば,ようやくアクセルとブレーキの違いが分かるレベルですから,授業といえど,教科書に記された内容をいかにかみ 砕いて,子ども達に「伝えられる」かといったレベルだったと思います。そこで,改めて,「人を育てる」ということに ついて,考えてしまいました。教科書に記された内容を,子ども達に教え授ける。実習生はその事に苦心していたわけですが ,はたしてその事だけで学校の役割は果たせたことになるのか・・・。大学3年の時,ゼミの中で松野憲二先生(教育哲学・ 日本教育史)が,教育は“ヒト科の動物を「人に育てる営みである」”と説かれたことを,昨日のことのように思い出しま す。かつて,こんな場面に遭遇したことがあります。外部講師を招いての授業の週末,講師が「何か質問はありますか?」 と問われました。すると,1人の男児が,スッと手を上げました。すかさずクラスメイトが「○○(男児の名前)は,絶対, お金のことを聞くよ」とつぶやき,タイミング良く講師が挙手をした男子を指名すると,まさしくその男児は「給料はいくら ですか」と質問したのでした。ちなみに,講師を招いての授業内容は「人権」でした。低学年の児童なら,あながち無い質問 ではありませんが,そこは高学年の教室でした。教務主任として参観していた私は,担任がそのクラス,児童に対してどのよ うに指導するのか注目していました。内心,当然,指導があるだろうと思っていました。ところが,何事もなかったかの ように「その場」はスルーし,聞けば講師がお帰りになった後にも,何の指導もしなかったということでした。私は後輩の 授業を見て,2つのことを危惧しました。1つ目は,問題の質問の前に,とある児童が「○○(男児の名前)は,絶対,お金 のことを聞くよ」とつぶやいたことから,そのクラスでは,普段からこのような「とんでもない発言」が許されているのか。 小学校といえども,言って良いことと悪いことの判断が曖昧なクラスなのかと。2つ目は,高学年になっても,人として恥ずか しいとか,人に失礼だとか,いわゆる人としての品や品格の教育がなされていないのかということでした。「横綱の品格」が 話題となりましたが,目には見えないけれど,またヒト科の動物には無い人としての品や品格。人としての物の見方や考え方 を,小学校でも育てていきたい。常永小学校の教育は,かくありたいと思います。教育実習に触れてもう1題。36年も前の 話。私の教育実習の指導教官は,もうお亡くなりになりましたが,笠井欽一という山梨大学附属小学校の研究主任も務められ た,厳しくも立派な方でした。いろいろと教えていただきましたが,「深澤さん,子どもの日常というのは連続していて, あまり変化が無い。故に,月の変わり目めや学期の切れ目などを捉えて,花鳥風月の変化や新たな目標を授けてあげることが 大事」と言うことを教えていただきました。私は,この教えを大事にしてきました。11月を迎えます。それぞれのクラスで ,良いスタートを切って欲しいと考えています。6年2組を対象とした,雨宮主幹教諭による理科の授業を参観しました。 先生の指導に促され,子ども達がじっくりと考える素敵な授業が展開されていました。長文にお付き合いいただき,有り難うご ざいました。